koloman’s diary

ごく普通のサラリーマン。今からアフィリエイトに挑戦しようとしているアラフィフ男です。週末ブロガーなので、家族の目を盗んで奮闘中!!!!!!

東日本大震災から7年が経ちました。

2011年から全てが変わりました

7年前の今日、とても忘れられない記憶の日となりました。

2011年3月11日、午後2時46分18.1秒、私は確定申告の為妻と税務署にいました。

その年私は失業中でしたので、初めて確定申告の為に税務署に行ったのです。

突然建物のシャッターが物凄い音をたて、経っていてもいつもと違う揺れを感じました。

職員の方が冷静に皆を非難へと誘導し、私たちは揺れが治まるのを待って建物の外へ出たのです。

その時は、誰もがまだ楽観的な感じだったと思います。

まるで世間話のように、まだ笑って会話をしていました。

2度目の揺れは、広場に植えられた木が知らせてくれました。

折れたりはしませんでしたが、木の揺れる姿を見た私たちは同じことを考えたでしょう。

「いつもの地震と違う…。」

更に現実を体感させたのは…。

「携帯電話が繋がらない?」

流石にまずい状況が起きていることを知った私と妻。

とりあえず、地震が治まったところで確定申告を終え、最寄りの駅へと向かいました。

当たり前のことができなくなる!ライフラインが経たれることの不安!

駅へ到着し、更にいつもと違う現実を味わいます。

駅の入り口はシャッターが閉められ、無情にも中へ入れてもらいない。

震災の影響で電車が止まっており、復旧の目途がたたない!

このことを駅員さんは必至で皆に伝えています。

当たり前のように駅に行けば電車に乗れる、電車に乗れれば家に帰れる。

それが叶わない瞬間、人々はだんだんパニックになっていくんですね。

歩いて帰れる距離ではないし、頼みの綱はタクシーだけ。

この日程タクシーの存在が有難かったことはないかもしれない。

そして、この日程タクシーを待ったこともないでしょう。

携帯電話が使えないことで、家族に連絡が取れない。

これが、ライフラインが経たれるというこですね。

とにかく情報が何も入ってこない。時が経てば、それは不安から恐怖に変わりました。

情報を入手しやすい日常が当たり前の生活に慣れてしまうと、

それが叶わないと分ると、余計に不安が増してきます。

私の携帯は、辛うじてワンセグTVが見れました。

ワンセグの映像から流れるニュース速報を、そこにいた数人の人達と共有して、

いったい何が起きているのかをやっと知ることができたのです。

その時代、駅前にはまだ公衆電話が数台設置されていましたね。

携帯電話の普及で、多くの公衆電話が撤去されていましたが、

そこの駅前には5台くらい設置されていたんじゃないですかね?

テレホンカードなんて既に姿を消していたんじゃないかな?

小銭を分け合う姿を目撃した記憶があります。

タクシーも、普段ではあまり考えない相乗りを経験しました。

偶然前に並ぶ優しそうな主婦の方と同じ報告だったので、相乗りをお願いしてやっとタクシーに乗れたのです。

既に午後6時を過ぎていましたので、近所のスーパーの前でタクシーを降りました。

その時は、まだこの後の物流困難の品薄など起こると思っていなかった私と妻。

普通に夕飯の買い物を済ませてやっと家に帰れたのです。

家の中がどうなっているのか?あの揺れを体験した後では流石に少々覚悟はします。

恐る恐る家の鍵を開け中を見てみると、絶対に倒れていると思った本棚は無事!

食器棚の食器も辛うじて無事でした。

揺れの方向が違っていたなら、我が家の被害は相当酷かったかもしれません。

唯一、電子レンジの台が倒れしまったくらい。

幸いにもキッチンが狭かった為、床に電子レンジが落ちることがなかったのも助かりました。

我が家のキッチンの扉に、地震ロック機能があったのもこの始めて知りましたね。

災害の深刻さに唖然となりました

その日、帰宅からずっとニュースを観ていたんじゃないでしょか?

あの津波の衝撃的な映像!最初はゆっくりと水が近づいているようにも見えます。

そのうち、目の前は水に囲まれ、家が流され、車が流され…。

その恐怖は計り知れないものだったでしょう。

まだスマホがなかった我が家は、妻がパソコンでYouTubeを観て泣いていたのを覚えています。

今もNHKでやっている災害特番を見ながらこの記事を書いています。

久しぶりにあの津波の映像を見ましたが、正直胸が詰まります。

多くの方が犠牲になった自然災害、忘れることなんてできません。

コンビニやスーパーからもの消えていく

翌日、失業中とはいえバイトをしていた私は仕事に行きました。

電車は復旧し、バイト先には行けたものの、普段の通りには営業できる雰囲気ではなかったです。

仕事を終えて、終電で帰るいつもと変わらない日常です。

近くのコンビニで買い物をしようと立ち寄った時、明らかに今までとは違う風景を目の当たりにします。

商品棚がスカスカになっている!終電が終わったからではなく、単純に物流が止まっているからです。

飲料の棚もスカスカ、パンの棚もスカスカ!明日になれば入荷するのだろうか?

とにかく何か買って帰らないと!

そう思って次のコンビニ、そして次のコンビニへと行ってみる。

どこも同じ状態でした。もう深夜ですから、尚更品薄になっているのは当たり前です。

ダメもとで店員さんに聞いてみました。

「あの~、食パンなんてもう売り切れですよね?明日の朝なら入荷しますか?」

すると、その店員さんは

「食パンなら、ありますよ。大変でしたね、昨日は私も帰宅難民を経験しました…。」

と言い、レジの下から食パンを出してくれました。

何とも心が温まる出来事です。この時の有難い気持ちは今でも忘れません。

私、普段はそんなに社交的ではないんです。

どちらかというとコミュニケーション下手な方です。

だからでしょうか?こんな心のふれあいがとても嬉しく感じました。

冷たい世の中になったっと言われていますが、こんな経験をするとまだ捨てたもんじゃないって思います。

本当に多くのことがあった7年でした!

震災のあった2011年、私個人としても思い出深い年です。

失業者になったのもこの年、今の会社に入社したのもこの年。

営業会社に入り、今までの人生がガラリと変わったのもこの年からです。

個人的に、何をやっても上手くいかない7年だった気がします。

サラリーマン人生の中で、一番苦しい7年でした。

一番家族に迷惑をかけた7年でした。

2017年の年末、体調を崩して仕事も絶不調になり、無事に年が越せるかと本当に悩みました。

年を開けた今年2018年、不思議と全てが変わり始めています。

良い仕事が自然と入ってくるようになり、契約が順調に取れています。

来月まで耐えれば、何とか普通の生活ができるようになりそうです。

妻に苦労をさせ続けた分、少しづつ良い思いをさせてやらなければ必死です!

あの震災は、私の人生も一度壊れたんだと思います。

7年という長い歳月を経て、自分の人生を立て直せそうな兆しがやっと見えてきました。

ここから挽回できるよう、明日からも一生懸命にやらなきゃね!

ちょうど、震災のあった時間までに書き終えました!

それでは、黙祷いたします!